about me


生い立ちでございます。
かなり量があるので、好きな時代を選んで読んでください。
  • 生まれた頃
  • 小学校高学年その2
  • 小っちゃい頃
  • 中学・高校時代その1
  • 幼稚園
  • 中学・高校時代その2
  • 小学校低学年
  • 大学時代その1
  • 小学校高学年その1
  • 大学時代その2



■生まれた頃■
昭和54年12月23日(天皇と一緒やね)に、
大阪市は城北市民病院で生まれる。
3800kgのでっかい赤ちゃんで、
鼻が天井を向いてたらしく親が痛く心配したとのこと。
何とか見るには耐える顔にはなったと思う!?


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■小っちゃい頃■
生まれてすぐは樟葉(くずは)という所に住んでたらしいが、
その頃の記憶は全くない。
しかし、姉が不意に投げたおもちゃで頭がさっくり切れ、
母親が僕をふと見ると顔中血だらけになっていた、
という事件が起こったのはこの頃。
記憶にはないが、傷という形でしっかりと刻み込まれている。


子供の頃はとても病弱で、すぐに病気してたらしい。
特に、何かのイベント(旅行とか遊園地)がある度に、
熱を出しては親を困らせていたようだ。
そのうち、親もだんだん慣れてきたようで、
和歌山の白浜に旅行に行った時、
例によって熱を出した僕は地元の病院で
「今すぐ入院させてください」といわれたが、
おかんは「いつものことやからいいです!」と言い切り、
次の日海につかったら、ほんまに熱が引いたらしい。
母は強し!


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■幼稚園■
親は何を思ったか私立の幼稚園に通わせる。
うちは祖母がステータス重視主義だったので、
できるだけ良いところに行かせよう、ということやったらしい。
お金は出したると。
両親はあんましいい風には思ってなかったみたいね。


この頃、腹ばいの状態から頭に足をつけるという特技を会得。
運動会の組体操の中の一つやったんですよ。


英語とスイミングを習い始める。
ごめんなさい。何一つ身になってません。
でも、祖母の影響で習い事はかなりたくさんやった。
小学校に入るとさらに拍車がかかる。


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■小学校低学年■
小学生のくせに、毎日何か習い事がある生活を送る。


幼稚園の頃からの、英語(週2)とスイミング(週1)に加え、
剣道(週3)・習字(週1)・学習塾(週2)が加わる。
足してもらえばわかるが、習い事のはしごをしてた日もあった。


剣道を始めたことで、体が丈夫になる。
あれだけ病弱だった(本人はあまり記憶はない)のに、
すっかり風邪も引かなくなった。
毎日習い事があったけど、全然嫌じゃなかった。
聞き分けがいいのはこの頃から続いてるねんなあ。
習い事に疲れ、自殺を考えている自分を演じてみたりする、
夢見がちな(あほな)少年でもあった。


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■小学校高学年その1■
順風満帆な小学生時代。楽しかったなあ。
友達の家に行って遊ぶのがとても面白かった。
小5の時、初恋なんかも経験する。淡かったなあ。


小6に上がるとき、一つの決断をする。
中学校受験だ。
親から勧められ、失うものはないんやったらええかな。
という後ろ向きな理由で始めた。

それからというもの生活は一変!
毎日あった習い事を全て辞め、
(剣道だけは細々と続ける)
月〜土は毎日塾に行くという生活を始める。
塾が谷町九丁目(谷九)にあったので、
わざわざ電車に乗って通塾。
中高も谷町九丁目で乗り降りしてたので、
7年間この駅には世話になることに。


学校が終わると、速攻で帰り着替えて菓子パンをほおばる。
コンビニで夜食を買い、おかんに駅まで送ってもらう。
電車で塾に着くとそこで、夜の9時くらいまで勉強。
日によってはさらに補習がある日も。
塾を出る前に家に電話を入れ、
(その頃は公衆電話でした)
駅まで迎えに来てもらい、
家に帰ってちょっとご飯を食べて、学校の宿題。
それが終わるとやっと就寝。


という生活をなんと小6でやってた。
俺、頑張ってたなあ。


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■小学校高学年その2■
そんな生活を送ってると、
学校が疎かになったのは当然かも知れない。
2学期の後半から、だんだん休みがちになり、
3学期はあまり学校には行かなくなった。
確かに学校の勉強はものすごく簡単に感じるようになった。
それが態度に出たんやろうか。
俺は違うぜ、みたいなことを思っていたかも知れない。
昨日まで仲が良かった友達も、
ある日を境にクラスの友達の
僕に対する態度が変わって来た。


それをいじめというのかは今も微妙やが、
少なくとも当時の僕は深く傷ついたし、
わんわん泣いた。(よく泣く子でした)


それもあって、学校からは遠ざかり、
ますます受験に生活がシフトしてきた。
お弁当を二つもって、朝から塾に行く。
昼に食べる弁当と夕食用の菓子パン。
菓子パンには必ずカルピスウォーターやったなあ。
めちゃめちゃカロリー高いね。


そうまでして頑張った甲斐もあり、
私立の中学校に見事合格!
お祝いでおとんに京橋の湯快ガーデンに連れてってもらう。
(湯快ガーデン=今のスーパー銭湯。当時は珍しかった)
もっとええとこなかったんか!小6の俺!!


それと引き換えといってはなんやが、
連絡取ってる小学校の時の連れはおりません。
自分からも求めんかってんけどな。


一つ大人になりました。


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■中学・高校時代その1■
そうまでして入った私立中学。こいつが最悪やった。
まず基本的な間違いは、男子校に行ってしまったこと。
中学校のときに誰もが経験するであろう、
ドキドキした恋愛なんてものは、うちの学校には無かった。
あるのはエロ本やエロビデオだけやったね。
男しかいないので、その辺はかなりおおっぴろげやった。
先生に、没収されたビデオを卒業しても返してくれへんて、
友達が怒ってた(笑)どうなったんでしょう?
その他最悪な点を列挙します。
鉄拳風に読むと、楽しんでいただけるかと。


こんな学校は今すぐつぶれてしまえ
 ・毎朝朝礼がある。
 ・狭い校庭に3000人の生徒が集まる。
 ・そこで般若心経を唱える。
 ・その後校長(当時)の話がある。
 ・その後校長に暗示をかけられる。
 ・が、肝心の校長自身の人間ができていない。残念!
 ・ぼろい校舎はほんまぼろい。
 ・月1で散髪検査がある。
 ・しかも、規定の髪型がださい。
 ・ブレザーなのになぜか白いスニーカーだ。
 ・制服がバカ高い。
 ・校舎が上に高い(7階建て)。
 ・もちろんエレベーターは利用不可だ。
 ・罰則が写経だ。
 ・罪の深さで写経の枚数が変わる。
 ・学校の過失で生徒がなくなった。
 ・しかもそれをもみ消そうとする。
 ・副校長が府知事選に出馬するが玉砕。
 ・100km歩く途中で、溝にはまる生徒がいた。
 ・というか、100km歩行自体狂気じみている。
 ・先生のち首をさわる生徒がいた。(男子校です)
 ・アフロの生徒がいた(アボボ)。
 ・昼の定番、サンミー。


などなど、枚挙に暇がないとはこのこと。
ここはまだまだ増やしていく予定なので、
S高校出身のみなさん。是非ご連絡の程を。


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■中学・高校時代その2■
そんな中学・高校時代だったが、
唯一の救いがたくさんの友人との出会いだ。


劣悪な環境が功を奏したのか、
同じ境遇を切り抜けてきた仲間のような意識がある。
そんなことを抜きにしても一緒にいると楽しい奴ら。
今の友達づきあいの基本はこの時の友達に教えてもらった。
自分の無いところを持っている。
僕を笑わせてくれる。
頑張ろうと思わせてくれる。
むかつかせてくれる。


そんな感情を育ててくれたのが、この頃できた友達。


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■大学時代その1■
高校ではそれなりに勉強し、それなりな大学に合格。
大学に入ってから勉強する気はさらさら無かったので、
ひたすらサークル活動と友達と遊ぶことに精を出す。


サークルでは学内のフリーペーパーの編集をしてた。
2年生の時、編集長も任せてもらった。
それまで、リーダーなんて立場に立ったことが無かったから、
この編集長という経験はとても貴重だった。
編集長をやって、たくさんの人で一つのものを創る難しさと、
楽しさを教えてもらった。
編集長最終日にはみんなに祝ってもらった。
自分で決めて頑張ったことで、充実感を得たのは、
生まれて初めてのことだったかもしれない。
初めての彼女も出来たし。
そういう意味でも、このサークルでの時間は、
僕の人生の中で無くてはならないものでした。


また、この頃初めての海外旅行を経験する。
初めてはお隣は韓国、ソウルだった。
その頃とっていた授業に韓国語があったので、
ノリでソウルにいきました。
ほとんど日本と変わりない町でしたが、
韓国人のパワーには参りました。


その後、3年の夏休みに行ったトロントへの語学研修は、
人生の中で一番神経を使った3週間だった。
ただ家に帰るだけで神経を尖らせる。
隣の人が、もしかしたら人殺しかもしれない。
と思いながら過ごす毎日は、
スリリングでエキサイティングだったけど、疲れた。
ここで知り合った友達とは仲良くさせてもらってます。


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■大学時代その2■
大学の後半2年間。僕は生活のほとんどを梅田で過ごした。
学校にはあまり行ってませんでした。
その代わり、別の学校に行ってました。
その名も、トリニティーアカデミー。
ネットで検索すると、悪い情報しか出てこないので、
あんまり見ないで欲しい。
少なくとも僕は、払ったお金以上のものはもらった。


ここで、トリニティーの説明を少し。
英会話とパソコンのダブルスクールで、
大学生や専門学校生を中心に資格の勉強をさせてくれる所。
もちろん、お金はかかる。しかも安くない。
僕も説明を聞きに行った時は、絶対入らないと思ってたし、
実際、後輩が2人も行ってなければ確実に断ってた。


そこにはR&L STATIONというサークルがある。
僕は資格の勉強よりも、そっちメインで行ってた。
もちろんちゃんと勉強もしたよ。
初級シスアドとかTOEICとか。
でも、資格の勉強だけでは学べないことを、
そのR&Lでは教えてもらった。
ほんとに全国に友達が出来たし、
一生懸命頑張るということの大切さ、
想いを実現することの難しさ、
友達のありがたさ、を教えてもらった。


僕にとっては本当に大切な場所です。
その学校はもちろん今も続いているので、
僕の知らない後輩がどんどん入ってくる。
そういう、大学生とのつながりが出来る、
という点でも、R&Lは大切にしたいです。


そして今、東京で社会人3年目。
見えない将来の靄を振り払うべくもがいてる最中です!


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